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自責100%・原因自分論の精神がもたらすデメリット

この記事では、自責100%・原因自分論の精神がもたらすデメリットを完全に個人的な意見として書いていきます。

結論、この精神は続けると普通にしんどい。

根底にその精神はもったうえで「とはいえなww」とか「せやけどさあww」って言える仲間おるほうがいいと思うでって話。

自責100%・原因自分論ってなんぞや?

これは書いてるとおりにはなるんやけど、かんたんに言うと「人や環境のせいにせんと、すべては自分に責任があると考える」って精神やな。

はい、ご立派。

たしかにこの精神はめちゃめちゃ大事。

なんで大事かって言うと「次どうしたらええか」を自分視点で考えることができるからやねんな。

これが人のせいにしてるとずっと成長せえへんし、卑屈な人間になって魅力がなくなっていくねんな。

よく外でもさ、「急いでるんやからはよせえ!」って店員さんに言う人おるやん?

いつもその光景を見ては、「いやいやwあんたがはよ準備してればよかったんじゃないの?人のせいにすんなよww」って思う。店員さん不憫やなあって。

こういう人たちって自責の念とか一生もったことないんやろなあって思う。

なにか問題が起きても「すべての原因は自分にある」って考えるのが自責100%の考え方やねん。

自責100%の精神のデメリット

個人的な意見として、自責100%の精神はデメリットもある。

結論、人によっては鬱とか適応障害といった精神病に発展する可能性も否めないから。

先述したように、自責100%の精神は考え方としては立派なのよ。申し分はないのよ。

ただ、これをずーっと一般ピーポーが続けていくと、どっかで「プチっ」となにかが切れてしまう可能性もあると思ってる。

だから信頼できる仲間や家族に、「とはいえさww」とか「せやけどなww」って言える環境があるのはめちゃくちゃ大事やと思ってる。

これには賛否両論あると思うけど、俺は愚痴もたまには必要やと思ってるタイプ。聖人君子みたいな人間ばっかちゃうねんから、急に自分をかえようと思ってもなかなかよ。

これが日常茶飯事になったりすると、誰も相手してくれなくなるけどね。ここがむずかしいポイント。

個人的には家族が一番相談しやすいんちゃうのとは思う。

わしの考え

あくまで個人的な意見やねんけど、人ってね自分でコントロールできないとか先の見えない状況が一番ストレスに感じるわけよ。

だから別にその不安を口に出すことくらいはOKなんじゃないのってこと。

自分のほんまの感情に気づいてあげる、その気持ちを口に出すことも自責100%の精神やと思ってる。

ちなみになんかあったの?ってわけでは全然なくて(笑)

最近SNSなどではびこってる、愚痴はNG!原因自分論!イエッサー!みたいな風潮がちょっとキモいなって違和感あるなあって思って。

まとめ

・自責100%は基本的な考え方としては必要(次どうしたらいいかを考えられるから)

・ただ、続けすぎると人によっては精神病む可能性があると思う

・信頼できる仲間や家族に自分のほんとうの気持ちを吐き出すことも大切

ただ、基本的な考え方としては俺もこの自責100%の精神はもっているつもり。

何度も言うように「じゃあ次どうすればいいかな」って前向きな方に視点が向くから。人のせいにしてると前に進むもんも進まへんしね。

だから審判の【せいで】試合がこわれた、とか思わないように頑張る。(何の話

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Maya
ドラクエのとくぎで1番好きなのがハッスルダンス。ベホマラーみたいな高級感がないところもすき。